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初代砂子屋伝兵衛が京都の地で創業した1711年(正徳元年)当時、金は自由に売買できませんでした。堀金は、徳川幕府の認可のもと金地金を支給されて、箔を打つ職人としてはじまりました。
京都は様々なものづくりの街。創業以来、時代の移り変わりとともに、工芸品や芸術作品、文化財に付加価値を与える材料として金箔が多く必要とされ、さまざまなものづくりの脇役に徹してきました。
昭和の時代は高度経済成長の波に乗ってあらゆるもの作りが盛んに行われました。その中、全国の幅広い産業分野の得意先への営業を行ったことで、新商品の開発にも繋がり、様々な産業と産業とを結びつける役割を果たしてきました。
売上のピークは平成元年。ところがそれを境に、バブル崩壊、リーマンショック、コロナショックなど、日本人の価値観やライフスタイルの変化により、最大の市場であった和装や金仏壇の市場が縮小し全国で金箔の生産は全盛期の1/10以下になっています。
「手回しせねば雨が降る」晴れている間に次に降る雨に備えておくという意味で、先代がよく口にしていた言葉です。創業の頃から、明治の文明開化や高度成長期を経て現在に至るまで、世の中は大きく変わり、それに応じて私たちの主力商品や得意先の業種や顔ぶれも常に変化し続けてきました。弊社の売上もピークから比べると縮小しているものの、付加価値の確保と、次の時代への備えに努めています。
コロナ以前から、足で稼ぐ営業に加えて、建築やノベルティ、ディスプレイなど従来と目先の違う分野の展示会への出展に力を注いできました。その結果、コロナ禍においても、新市場の開拓に繋げることができました。
さらに2021年には、越境ECサイト「至善堂」をオープン。日本の伝統的な工芸素材を世界のクリエーターに向けて発信しています。
新しい時代においても変わらない金属装飾の魅力や、可能性を追求していくことで、”次に降る雨”への備えを怠りません。
私たちは、社員30人の決して大きな会社でも大儲けしている会社でもありません。永く続いていることと、家族のような社員の定着率の良さが自慢の会社です。代々、社員の幸せや健康を大切に思う社風があります。
会社のモットーは「和」。得意先・仕入先・社員・地域との和を大切に、目先の利益や拡大することより継続することを判断基準として、何事も無理をせず「身の丈に合った経営」を心がけております。
会社と住まいが同じ敷地にあるため、幼い頃から社員と親しみ、会社の行事にも常に参加していたことで、ありがたいことに2004年の社長交代、2012年に先代が死去した際も辞める社員は誰もいませんでした。
また、コロナ禍以前から働き方改革に取組み、時短勤務や産休からの復帰、在宅勤務、外国人の活躍など多様な働き方に対応することで2018年に京都府から「ワークライフバランス企業」の認定をいただきました。
金の地金価格は近年大きく変動していますが、地金価格の変動で損得を考えず、堅実に商売をすることが堀金の大切なルールです。このことが事業を続けていくうえでの信用につながっていると思います。また、代々続く会社でありながら土地も株式も分散していないことも堀金の大きな特色です。
会社の目的はそれぞれ様々です。堀金の目的は大きくなることより、時代に合わせて継続することです。企業の成長は売上や人数だけでは計れません。会社の存在意義は社会貢献だと思います。例えば納税。昭和45年に制度が始まって以来の優良申告法人であることは先代から引き継いだ誇りです。
金は、時代や国を問わず貴重なものとされ、富と権力の象徴として重宝されてきました。金色は最高を意味し、人を幸せな気持ちにさせる普遍的な力があると思います。金が無くても作品や製品は成り立ちますが、金を使うことでさらにそのものの価値が高まる名脇役だと思います。金箔自体は主役ではなく、主役に箔を付けることが私たちの仕事です。これからも守るべきものと変えるものを見極めて、金色といえば堀金と思ってもらえるよう、力強い脇役として主役を輝かせていきたいと思っています。